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zoom RSS 企画展「植物学者牧野富太郎の足跡と今」(国立科学博物館)訪問

<<   作成日時 : 2013/02/04 14:48   >>

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先日、例年通りの遅ればせの初詣(浅草寺)をしたあと、上野の国立科学博物館に寄って、企画展「植物学者牧野富太郎の足跡と今」を見てきました。

この企画展は、牧野富太郎生誕150年に当り、昨年の6月16日から9月23日まで、高知県立牧野植物園にて開催され、その後2012年12月22日から今年の3月17日まで、東京上野の国立科学博物館にて開催されています。企画展は、「牧野富太郎と記載学」「牧野富太郎と教育普及活動」「昭和天皇との交流」を具体的な資料によって紹介しています。展示概要は、本企画展のホームページに載っています。

本展は、現在からの視点で、牧野博士の研究業績や普及活動と、それらに基づく植物研究および植物愛好家たちの活動の発展を展望することが主眼のようですが、難しいことを考えなくても、丁寧で美しい植物標本、精緻を極めた植物図、自ら創設し手がけた学術誌、その他書簡、写真などを見ていると、その業績の偉大さのみならず、このユニークな学者の人柄がよく伝わってきます。

牧野博士は若い頃に「赭鞭一撻」と題して植物学者としての15項目の心構えを立てています。その中の9番目に「吝財者(りんざいしゃ)は植物学たるを得ず」とあります。必要な書籍を買うにも、機器を買うにもお金が要り、けちけちしていては植物学者になれないというのです。

手元の北村四郎選集4「花の文化史」の中に牧野富太郎について述べた一節を見つけました。その中に、「・・・(牧野さんは)必要な本をどんどん自分で買ったので借金し、生活に困った」とあります。「牧野さんの図書は高知の牧野植物園の牧野文庫にある。それを見ると同じ本の重複があったり、版のちがったものがそろえてある。それも必要なことであるが、これでは金はいるとおもう・・・(中略)・・・牧野夫人の生活のやり繰りは大変だっただろうと思う」。まさに「赭鞭一撻」の「吝財者は植物学たるを得ず」を実行しているわけです。

年譜によると、明治17年22歳のとき上京して、東大理学部植物学教室に出入りを許されますが、明治26年31歳になって初めて東大の助手として月給15円の俸給生活者になりました。牧野博士が78歳のときに書いた「亡き妻を想う」(植物記 ちくま学芸文庫版)によれば、この頃、ほとんど毎年のように子どもが生まれ、月給15円ではとてもやりきれず、高利貸から借金したが、わずか2、3年の間に2千円を突破してしまったと書かれています。この借金は同郷の人たちのおかげで清算したのですが、その後13人の子どもができてしまい、またしても借金に苦しめられます。しかし、ここにもまた援助者が現れて、その借金も清算されます。

こんなふうに、借金は子沢山のせいであるように書かれていますが、「吝財者は植物学たるを得ず」の実行が借金の相当な割合を占めているのではないでしょうか。

牧野博士は寿衛子夫人に対する感謝の心を述べています。「私が終世植物の研究に身を委ねることが出来たのは何といっても、亡妻寿衛子のお蔭が多分にあり、彼女のこの大きな激励と内助がなかったら・・・」植物の研究を続けることができなかったであろうというのです。債権者に断りを入れるのは常に夫人で、あるときなどはお産の3日後に遠い道のりを歩いて、債権者に断りに行ったことなどが述べられています。家計を助けるために、菓子屋の店を出したりしたのですが、その後、意外なことに、小さな家を借りて待合を始めたのです。「大学の先生のくせに待合をやるとはけしからんなど私はさんざん大学方面で悪口をいわれたものでした・・・・私たちは何としてでも金を得て行かなければ生活がやって行けなく全く生命(いのち)の問題であったのです」。

現在東大泉にある練馬区立牧野記念庭園は、牧野博士の最後の住処でした。ここに家をつくる計画はやはり寿衛子夫人の計画によるものだそうです。都会の中ではよく火事が起こるので、大切な植物標本を万一の火事からまもるためという理由からです。そして将来ここを中心に植物園をつくるというのが夫人の理想でした。しかし家ができて間もなく、夫人は55歳にして病気で亡くなってしまいました。牧野博士はその頃新種の笹を仙台で発見し、亡き夫人の名をこの笹に命名し、スエコザサとしました。牧野記念庭園にはスエコザサが植えてあります。牧野博士に発見される前は、なんの変哲もない名無しの笹だったのですが、スエコザサと命名されることによって、牧野博士の寿衛子夫人への思い出、感謝、哀しみが込められた特別な笹になり、今も庭園に生き続けています。

「亡き妻を想う」の最後には、「・・・約半世紀も勤め上げた大学側からは、始終いろいろ堪えられぬような学問的圧迫でいじめられ通しでやって来ました・・・由来学者とはいうものの、案に相違した偏狭なそして嫉妬深い人物が往々にしてあることは、遺憾ながら止むを得ません・・・」と書かれています。前出の北村博士は、牧野さんは日本の分類地理学者として第一人者であり、また詳細正確な植物図の第一人者であるが、ただ性格的には教授には不向きで、むしろ講師の地位でほとんど自分の研究に没頭できたのは幸いであったと述べています。教授の仕事は研究だけではありません。北村博士は京大の教授でしたから、そんな感想をもつのでしょう。

企画展の話から脱線してしまいましたが、こんな背景を心に画きつつ、展示物を見ると新たな興味をおぼえます。

牧野富太郎は、桜田門外の変の翌々年、生麦事件の起こる文久2年(1862)4月24日に生まれ、昭和32年(1957)1月18日に94歳で亡くなっています。南極昭和基地が開設され、またカラーテレビの実験放送が開始された年です。幕末に生まれて、激動の明治、大正、昭和の時代を通じて自らの大きな仕事を成し遂げ、天寿を全うした人でした。

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国立科学博物館のシロナガスクジラのオブジェ



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牧野富太郎生誕150年記念切手(昨年春発行)

牧野博士の植物図をデザインしたもの



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「チョコレート展」も現在開催されており、こちらの方が込み合っています

こちらの企画展はチョコレートの歴史や、カカオの種からチョコレートができるまでの過程の紹介です

別室ではいろいろなチョコレートが販売されています



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コメント(28件)

内 容 ニックネーム/日時
牧野博士のことも興味深いのでもっと近ければ行ってみたいものです。
チョコレート展の方が込み合っているとは複雑な感じがしますが、混雑ない空間で足跡をゆっくり拝見してみたいです。
国立科学博物館のシロナガスクジラのオブジェ以前はよく行ったので懐かしいです(^^)
松の陰
2013/02/04 17:38
こんばんは!
うんと若い時に4年間高知にいました。
そのとき、牧野植物園に何度かでかけたことがあります。

神戸の六甲森林植物園で牧野博士の記録をみたことがあるように記憶しています。
昔、神戸にも「牧野植物研究所」があり、牧野博士の書庫みたいなものだったと聞いたこともあります。
お金をおします、どんどん文献や書物を買ったので、貧窮していったそうですが、標本や書物をおくところにも困ったほどだったとか・・・
大変な勉強家で研究家だったのですね。
植物画をみると、絵の才能もあったのかと思います。
生駒の風
2013/02/04 19:58
牧野博士の事は全く知りませんでした。
読みながらとても勉強になりました。
植物が好きなかたはトコトン、追求されるのですね。
ほんわかと眺めてばかりではダメですね。〈笑)
あっこちゃん
2013/02/04 20:39
牧野博士のいろいろな側面を読むことができました。とことん突き詰める生き方、凡人にはできませんね。
ミセスサニー
2013/02/05 08:30
松の陰さん、コメントと気持玉をありがとうございました。
科学博物館には子どもの頃や中学生の頃よく行きました。今回は、2007年の特別展「花」に行って以来でした。牧野展は別として、ここは小学生〜高校生など若い人たちが多いです。
チョコレート展も結構おもしろかったです。カカオの実からチョコレートができるまで、あれほど手間がかかるものとは知りませんでした。チョコレートを飲むポットやカップも瀟洒なものが展示されていて、目を引きました。
シロナガスクジラのオブジェは堂々と立派ですね。
エフ・エム
2013/02/05 08:47
生駒の風さん、高知にいらしたことがあるのですね。高知市には2度ほど行ったことがありますが、牧野植物園に行く機会をのがしました。
六甲の植物園や神戸の研究所については知りませんでした。あちこちに牧野博士の残されたものがあるのですね。
高額の借金をしてまでも研究にお金をつぎ込むというのは、凡人にはちょっと考えられないです。キャリアーを積んで31歳での初任給が15円。現在の金額に換算するのは難しいですが、普通なら充分生活できたでしょう。2千円の借金とといえば、月給の133倍、つまり昇給がないとして11年間の月給分。大変な人ですね。
同郷の法学者土方寧博士や田中光顕伯爵や三菱財閥の岩崎のおかげで借金を清算したそうですから、同郷人に恵まれ、運のよい人だったのですね。
エフ・エム
2013/02/05 11:15
あっこちゃん、コメントありがとうございました。
牧野博士はやはり時代の生んだ寵児と思います。学問的にも一流中の一流ですが、植物学を普及させ、全国に植物愛好家を育てたことは特に評価すべきことでしょう。
エフ・エム
2013/02/05 11:27
ツユヒメさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/05 11:28
hideさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/05 11:29
yasuhikoさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/05 11:29
ミセスサニーさん、コメントありがとうございました。
生活面に犠牲を払ってもとことん研究に打ち込む。それに奥様の献身ぶり。現代ではとても考えられません。
エフ・エム
2013/02/05 11:33
totoさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/05 11:34
牧野博士のことは知りませんでしたが、
植物に強い愛情を持っておられ、
だからこそ植物学の研究に生涯情熱を注がれたのだとよく判りました
また、夫人の献身的な支えにも心打たれました
スケッチ力も凄いと思いますし、40万枚もの植物標本を収集されたというのも感服です
国立科学博物館でチョコ展というのもちょっと驚き
でもチケットが板チョコの形だし、バレンタインデーには、窓口にチョコ持参か、チョコの写真を提示したら入場割引になるというのもお洒落な企画で感心
両方見たい展示会ですね
T&M
2013/02/05 17:24
こんばんは
牧野博士のこと、あまり知りませんでした。
強い意志を持って、研究を続けられたのでしょうね。
時間を作って、見に行きたいです。
YAKUMA
2013/02/05 21:17
T&Mさん、コメントと気持玉をありがとうございました。
牧野博士は植物の分類学の第一人者であるとともに、いわゆる植物愛好家であって、その頂点に立つ人じゃないでしょうか。分類学の教授たちとはちょっと感じが違います。それ故に牧野ファンが多いのではないかと思います。植物のイラストは実に几帳面に描かれています。ずいぶん時間を費やしたことでしょう。
チョコ展もおもしろかったです。販売会場ではいろいろな種類のチョコレートを売っていました。商魂たくましい感じです。国立の博物館でチョコレートを買ってくるとは考えもしていませんでした。
エフ・エム
2013/02/05 21:40
YAKUMAさん、コメントありがとうございました。
学問のみならず、人間としてもたいへんユニークな人ですね。また何か伝記などが見つかれば、読んでみたいと思います。牧野庭園にもまた一度行ってみたいと思います。
エフ・エム
2013/02/05 21:48
江戸川乱歩さん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/06 07:21
ブログを始めた頃、真っ先に読んだのが牧野富太郎自叙伝でした。
「草を褥に木の根を枕、花を恋して五十年」
でもそれを書いてからもさらに10年もお元気で図譜や図鑑の出版に「左の手では貧乏と戦い右の手では学問」の96年の人生、本当に圧倒されました。
子ども13人の大家族、家賃が滞って立ち退きさせられたとか、生活はたいへんだったようですね。
でもたっての希望は「富士山に瘤(宝永山)があるのは醜いから削って隣の爆発口の凹みに掻き入れたい」。
没後150年でも未だに生きていらっしゃるようですね。
夕菅
2013/02/06 08:39
夕菅さん、コメントありがとうございました。
お返事が大変遅れてすみません。
つくづく思いますが、ほんとうに凄い人ですね。不屈の生き方、とても普通人にはまねできません。また、牧野さんを助けた郷土の人たち、その後もまた援助を自主的に申し出て実行した人たちもすばらしい人たちと思います。牧野博士が日本の植物学に貢献されてしること、その真価を理解されていたのでしょう。奥様がまた凄いです。娘時代は裕福な家のお嬢さんだったらしいですが。
今の時代も将来もこんな人は現れそうもありません。
エフ・エム
2013/02/09 17:56
子供が13人とは、ご夫婦の中も相当良かったのですね。
植物を愛しコツコツと調査をし、人も実直に愛する方だったのでしょう。
そういう方だからこそ、よい奥様良き援助者に恵まれ支えられた人生を歩むことができたのでしょう。
自分と引き比べ、あまりのスケールの違いに身が縮みます。
とんとん
2013/02/14 22:48
かなたさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/16 09:00
ケロ太さん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/16 09:01
I子さん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/16 09:02
ほたるさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/16 09:03
ジュンチーさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/16 09:04
えのもと@秋田さん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/02/16 09:05
とんとんさん、コメントありがとうございました。
根っから植物が好きな人だったということがよく分かります。植物を分類学の対象として牧野さんと同等またはそれ以上に業績を残した人は多いと思いますが、学者と植物愛好家の両方で多大な業績を残した人は牧野さん以外に考えられないです。
スケールは並外れて大きい人ですね。
エフ・エム
2013/02/16 09:13
winning-fieldさん、気持玉をありがとうございました。
エフ・エム
2013/03/07 08:16

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